高専時代の私から定年後の人生を提案
学生時代の自分へと想いを馳せると、まるで昨日のことのように鮮明に思い出されます。田舎の長男として生まれ、「跡取り」としての役割を背負いながら、人生の様々な局面を通り抜けてきた私。特に高専高学年(4・5年生)時代の出来事は、今でも心に深く刻まれています。このブログ記事では、私が過去に経験したしくじりや学び、そして未来への希望を、定年退職を迎えるあなたへ届けたいと思います。
あなたもご自身の学生時代など、若いころの自分の感情を振り返りながらこれからの人生をどう生きるかを考えてみてください。若いころのあなたが何か良い提案をしてくれるかもしれませんよ!
私の高専高学年時代の思い出
通常の高校生が大学受験勉強に時間を費やしている中、私は高専生としての進路を歩んでいました。大学受験の必要がない分、私の心はバスケットボールに熱中していました。3ポイントシュートの成功率が上がり、日々の努力が形になる喜びを感じていました。
しかし、喜びの裏には悲しい出来事もありました。
バレーボール部の選手が自殺したことは今でも忘れられません。彼は、人間が自然に対して悪いことばかりしていると感じ、それが耐えられなかったのです。公害が社会問題となっていた時代背景もあり、彼の死は私たちに大きな衝撃を与えました。また、バスケットボール部の後輩が退学を決意したのも忘れられません。彼は、自分が大企業に就職し、公害の原因となることに耐えられなかったのです。これらの出来事は、私に「自分が生きる意味」を問いかける大きな契機となりました。
大切にしていた感情
私が高専高学年時代に大切にしていた感情は、多岐にわたります。
バスケットボールの成長を実感するたびに、努力が実る喜びを感じていました。このことを通じて、努力は決して時間に比例するものではなく、できるまで諦めないことが大切だと知りました。
次に、悲しさです。友人の自殺や後輩の退学は、私にとってつらい出来事でした。自殺した人の本をよく読み、高野悦子さんの「二十歳の原点」、奥浩平さんの「青春の墓標」、樺美智子さんの「人知れず微笑まん」などを手に取りました。自分自身に問いかけることが多く、「自分はどう生きる?なんのために?」と悩んだ時期でした。
悔しさもありました。卒業後の進路を考える際、就職か進学かの選択肢がありましたが、家庭の経済力を理由に進学を諦めました。同級生が東京工業大学に編入した話を聞いた時、悔しい思いをしたものです。
好奇心も大切にしていました。音楽の嗜好が変わり、ブルーグラスに夢中になりました。ニッティー・グリッティー・ダートバンドの「臭いものにはふたをしろ」と蓋をしてしまうなかにこそ真実がある、という考え方に魅了されたのです。また、芥川龍之介の「河童」からも影響を受けたことを覚えています。これは人間が河童の世界に入っていく話。河童の世界では人間の世界で「正しいことと」とされていることが悪いことで、人間の世界で「悪いこと」とされていることが正しいことなのです。まったく逆の価値観で進んでいく話でしたが違和感なく読めたことに衝撃を受けました。のちに私が哲学の授業で「”正しい”と”間違い”から真実へ」という論文を書いたもとになったのです。ちなみにこの論文は先生から高い評価をいただきました。
恐怖心も忘れられません。祖母の死に際して、父親の兄弟たちが母に対して憎しみをぶつけたことに対する恐怖心がありました。人間に対する恐怖心が生まれ、自分の母親を守りたいという気持ちが強くなりました。
このようにこの時代は私が「生きる」意味を考えた時期でもあったのです。
私の価値観
高専高学年時代に私が抱いていた価値観は、今でも私の人生に大きな影響を与えています。まず、「何が正しいのか、何が間違いなのか」ではなく、「自分がどうありたいのか」が大切だということです。会社で仕事をすることは組織の一員として協力することですが、自分を失ってはいけないと感じました。
また、マスコミで取り上げられることが常に「正しいこと」ではないという考え方も芽生えてきました。「正しいか間違いか」ではなく、自分がどうありたいのか?を大切にすることです。私が音楽のレコードを買うときには、気になるレコードを手に取り、店員さんに頼んで聞かせてもらってから選ぶようにしました。
そんな私が就職先として大企業を選んだのは、企業の在り方を変えるには外からではなく内部から変えていく必要があると感じたからです。しかし、実際にそこまで影響力を発揮するには経営層に入ることが必要だと感じた私の人生でした。私がその当時に大企業を就職先に選んだのは、それは両親への恩返しの意味もありました。つまり跡取りとしてふさわしい選択だと感じていたのです。
やはり私の価値観の原点は幼少期の「跡取りだから」という意識だったのです。
しくじり
当時の私の行動を振り返ると、いくつかのしくじりが思い出されます。まず、大学編入を諦めた理由を家庭の経済力としたことです。自分が家庭のことをよく考えた思慮深い人間であると思いたかったのですが、本来なら編入に挑戦してみることが大事だったと今では考えています。
また、就職先の選択においても大企業ばかりを選んでいたことが悔やまれます。家庭や親のためと自分の責任を放棄した選択だったと感じています。
友人たちと夜通し語り合ったことを思い出すにつれ、卒業後はほとんど会わなくなってしまったことが悔やまれます。継続していればと感じることも多いです。
当時の自分へのアドバイス
もし、あの時の自分にアドバイスを送れるとしたら、こう伝えたいです。「生きる意味がわからずに悩んでいた時代、今もその答えはないけれども、自分の意思をもっと出すべきだ。例えば進学にも挑戦してほしかった。就職先も大企業だけではなく、中小企業にも面接に行って、自分の気持ちがどう動くかを感じたうえで決めてほしい。そしてその結果に対して自分が責任を取ること。決して家庭や社会の責任にしないように。そして友人たちをもっと大切にして!」
です。
定年退職後の人生設計について
定年退職後の人生設計は、今から考えておくべき大切なテーマです。定年退職を迎えるあなたが、これからどのように過ごすかを考えることは非常に重要です。学生時代の思いや考え方を思い出し、それを定年退職後の人生に反映させることで、充実した時間を過ごせるでしょう。
まず、過去の経験やしくじりを振り返り、自分にとって何が大切なのかを再確認してください。その上で、退職後にやりたいことや挑戦したいことをリストアップし、それに向けて計画を立てましょう。例えば、趣味や興味を追求すること、地域社会に貢献すること、新しいスキルを習得することなどが考えられます。
最後に、健康管理も忘れずに。
定期的な運動やバランスの取れた食事、定期健診を心掛け、心身ともに健康でいられるよう努めましょう。
自分を生きる、
そんな定年退職後の人生にしてほしいと思います。
コメント