幼少期のしくじり

しくじり人生

ここでは私の幼少期、つまり小学校に上がるまでの記憶をたどってみました。
この時期はまだ何もわかっていない時期、と思われがちですが自分のミッションを携えてこの世に生まれ出たことを考えればまだそのミッションが鮮明に残っていた時期だとも言えます。

もしそうなら幼少期の自分を見ることで自分がこの世に生まれ出た意味やそのミッションに気づくことができるのでは?と思い、私の幼少期に思いを馳せることにしました。

幼少期の記憶を辿って

私の記憶にある幼少期のイメージ。田んぼの向こうに沈む夕日が、今も私の胸に焼きついています。幼少期の思い出は、時に鮮やかに、時にぼんやりとした輪郭を持って蘇ります。胸にあざができたあの日から、私の生活は少しずつ変わっていきました。

母との特別な時間

病院へ通うために毎週母親と電車に乗る日々がありました。母は仕事で忙しかったはずですが、病院の日だけは私のために時間を割いてくれました。その電車の中で、母親と一緒に過ごす時間が私にとって特別なものでした。母の手を握りしめ、窓の外を流れる風景を眺めながら、感謝と喜びの気持ちが胸に広がっていきました。

家の周りの風景と癒し

家の下には広がる田んぼがあり、夕方になるとその風景が一層美しく映えました。
あの日の風景は、まるで絵画のように目に焼きついています。
夕焼けに染まる空と、そこに浮かぶ稲穂のシルエット。
そんな静かな時間が私にとっての癒しでした。

鶏の肉が食べられなくなりました

家では鶏を飼っていて、毎朝生んだ卵を取りに行くのが日課でした。
しかし、ある日、仲良しだった鶏が首を切られてつるされているのを見てしまいました。
それは、めでたい日にふるまわれるごちそうだったのです。
それ以来、大人になるまで鶏の肉を食べることができませんでした。

跡取りとしての責任感

私の幼少期は、「跡取り」としての責任感に縛られていました。
親や親族たちから「跡取りやから」と言われ続けました。そのあとに続く言葉はなかったのです。
何をすれば良いのか分からないまま、とにかく親や親戚に褒められるようにと努力していました。
自分の意思ではなく、親の言葉に従うことが当たり前でした。
自分が思うことではなく、親や周囲の人達が何を望んでいるのかを探ること。
そしてそのことを言われる前に実践することが褒められるコツなのだと知ったのはこの幼少期だったのです。

幼少期の教訓が大人になってからの糧に

今思えばこの幼少期に身に着けた「周囲の人の顔色をうかがう」生き方が私の人生を形づくってきたと今では思えます。そしてそれは良くないことでもあり、良いことでもあったのだと。
この世に生を受けて70年の年月を経てもなお、幼少期のころに身に着けた習性を大切にして生きているのだと実感しています。
そしていま、幼少期のころを思い出すことでこれからの残された人生をどう生きるかの参考にしたいと思うに至りました。

親の言うことを聞くだけではない

私の人生を振り返ると、親の言うことを聞くばかりではなく、自分の意思をしっかりと持つべきだったと感じています。大人になるにつれて「こうすればいいよ」と言ってくれる人は少なくなり、自分で決断する力が求められます。その時に備えて、自分の意志を大切にすることが重要だと痛感しています。
しかし当時は人生にとってどのような選択肢があるのかを知るすべはありませんでした。
今の時代のように掌に乗る小さな箱からどのような情報でも取り出せるわけでもなく、自分にとっては親をはじめとする周囲の大人たちの情報に頼るしかなかったのです。
そして彼らは私にこう教えてくれました。

「跡取りなんやから」

って。

幼少期の自分へのメッセージ

もし幼少期の自分にメッセージを送るとしたら、「もっと自分が思う通りにしていいんだよ!」と伝えたいです。
自己の意志を尊重し、自分の感じたこと、思ったことを大切にすることは、人生を豊かにするための鍵です。
そして思うだけではなく、思ったことを少しでも実践してみること。
そして実践した結果をしっかりと分析すること。
今でこそ、すべてがPDCAの繰り返しだということはわかりますが、幼少期の自分にはそれを知るすべはなかったのです。

だからと言って自分の幼少期の過ごし方が間違って今とは思いません。
そのようにしておくことが当時の自分にとっては最善の方法だと信じて実践したのですから。
今から思えば違う道筋もあったんだろうなぁ、
とは思いますがね。

選択の連続としての人生

一般的に、人生とは選択の連続です。誰もが自分の道を選び、その選択の積み重ねがその人自身を形成します。時には他人の期待に応えようとすることもありますが、最終的には自分が納得できる選択をすることが幸せへの道だといまでは確信しています。

例えば、大学進学の際に親が医者になることを望んでいたとしても、自分が本当にやりたいことが別にあるなら、その道を選ぶ勇気が必要だと思うのです。

こんな人の話を聞いたことがあります。
その人は、親の期待に応えて医者になりましたが、結局は自分の夢である音楽を追い求め、30歳を過ぎてから音楽の道に進みました。
その結果、彼は自分の人生に満足し、毎日を充実させているのだとか。

余生ではない定年後の生き方と自己実現

人生100年時代と呼ばれるいま、定年後の生活はもはや「余生」ではありません。
ましてや「老後」と呼ばれるステージでもありません。
これまで周囲の目を気にして生きてきた私にとっては、ようやく「自分らしく生きる」ステージに入ったのです。

定年退職してから10年が経過しました。
しかしこの10年、本当に自分らしくいきてきたのかなぁ?
と思うと、まだまだ現役時代の延長線上、いや幼少期の延長線上であったと言えます。

今回は幼少期から今までの人生を振り返ることでこれからの自分の生き方の道しるべを確認しようと思い立ったのです。
ここまでお読みいただいたあなた様にはひょっとしたら同じような感覚をお持ちなのかも知れませんね。
あなたがこれから定年退職を迎えようとしてるのなら、ぜひ一度時間をとって私と同じようにこれまでの人生を振り返ってみることをおすすめします。

忘れていたあなた本来の生き方を取り戻すために。

定年後の目標探し

定年後の生活を考えると、自分に「こうしなさい、ああしなさい」と言ってくれる人はほとんどいなくなることに気づきます。
特にこれまで仕事で忙しくしていたあなたは、何をしたらいいのか、生きる目標を失ってしまうことがあるかも?

しかし、自分が幼少期に抱いていた感情を思い出し、そこから定年後の目標を探ることができれば、迷うことなく充実した生活を送ることができるでしょう。

これまでの長い人生を振り返ることは短い時間ではできないかも知れません。
でも始めなければ進めません。
遅まきながら私も今始めたところです。

自分のペースで、自分が納得できる方法で始めてみませんか?
忘れていた自分を取り戻すために。

そうそう、下記にこんな人もいた、っていう例を示しますね。
あなたの参考になれば嬉しいです。

絵を描く男性

例えば、ある定年退職を迎えた男性は、長年サラリーマンとして働いてきましたが、退職後に何をすべきか分かりませんでした。彼は幼少期に好きだった絵を描くことを思い出し、絵画教室に通い始めました。今では地域の展覧会に出展するほどの腕前となり、多くの仲間と充実した時間を過ごしています。

ボランティア活動に目覚めた女性

また、別の女性は、退職後にボランティア活動に目覚めました。彼女は幼少期から人助けが好きで、地域の子供たちに勉強を教える活動を始めました。今では多くの子供たちに慕われ、地域社会に貢献することで生きがいを感じています。

自己の意志を尊重することの重要性

こんな風に聞くとあなたはこれまで自分の意志で生きてきたから大丈夫!
って思われているかも知れませんね。
でも本当でしょうか?
それってひょっとしたらあなたの「脳」が答えているのかも?

これも最近の私の気づきですが、「脳」と「心」は別物では?と感じるのです。
私たちは小学校いらいいろんな知識を身に着けてきました。
そしていろんな大人たちの話を聞いてきました。
その過程で
「こうしなくてはいけない」「こうあらねばならない」というように「ねばならない」ことを多く身にまとってきました。
その「ねばならない」は論理的思考をつかさどる「脳」に埋め込まれてきたのです。
多くの学びを吸収するたびに「脳」は「ねばならない」を積み重ねていきます。
でも私たちが持って生まれた「~したい」という感情は「心」にあるのです。

幼少期を振り返り、自分の人生を眺めてみることは「脳」によるものではなく、自分の「心」に聞いてみることが大切ではないかと思うのです。

これからの人生を自分らしく生きるために。

心の声に耳を傾ける

人生の最も重要な教訓の一つは、自分自身を大切にし、自分の心の声に耳を傾けることです。
幼少期の純粋な感情や夢を忘れずに、日々の選択を自分の意思で行うことが、幸福な人生を築くための基盤となります。

いま、あなたの心は何を感じていますか?
何もすることがないことを嘆いていますか?
もしそうだとしたらそれは「脳」です。

あなたの心は、
「やっと自分らしく生きるステージに来た!」
って喜んでいるのだと思いますよ。

ぜひあなたの「心の声」に耳を傾けてみてください。

現代の若者たちへのメッセージ

次の時代を担う、現代の若者たちへ。
君たちは私のように、親や社会の期待に応えようとしていませんか?
もしそうならそれは私たち世代の生き方です。
君たちは、自分の本当にやりたいことを見つけ、それを追求する生き方をしてください。

こんな人がいることも知っていることでしょう。
ある若者は、親の期待に応えて大企業に就職しましたが、結局は自分の夢である起業を選び、多くの困難を乗り越えながらも成功を収めました。

あなたはどんな人生を歩みたいですか?

家庭を持つことの選択

また、家庭を持つことを選択するかどうかも、自分の意思を大切にするべきです。
ある女性は、結婚して子供を持つことが当たり前だと思われる環境で育ちました。
これは私たち世代の親御さんのもとで育った方だと思います。
しかし彼女は、自分のキャリアを追求することを選びました。
結果として、彼女は国際的に認められる専門家となり、自分の選択に誇りを持っています。

自分の選択に責任を持つこと

人生は一度きりであり、自分の選択に責任を持つことが重要です。他人の期待に応えることも大切ですが、最終的には自分自身が納得できる選択をすることが、真の幸せへの道です。

私のように親や親族の期待にそう生き方は自分の選択とは言えないのです。
でもその選択には「責任」がありません。
だって自分が決めたことではないのですから。

私の時代はそれが許された時代でした。
いう通りにしていれば安全・安心が保証された時代だったのです。

でもこれからの時代はそうではありません。
いろんな選択肢が目の前に現れてきます。
その中で選択するのは自分。
そして選択した結果に対して責任を持つのも自分。

怖いようですが、それが自分の生きた証につながるのです。

ここであるジャーナリストの方の言葉を紹介します。

「死んではいない生き方と生きている生き方は違う」

正確な言葉は記憶から薄れていますが、「生きる」ということを考察した結果の言葉です。

あなたも生きてみませんか?

幼少期の経験の影響

私たちは皆、それぞれの人生を歩んでいます。幼少期の経験や教訓は、大人になってからの生き方に大きな影響を与えます。自己の意志を尊重し、自分の心に正直に生きることは、人生を豊かにするための最も重要な要素です。 

あなたがこれから定年後の人生を歩もうとされているのでしたらぜひ幼少期からの人生を振り返ってみてください。
あなたらしく生きるために。

人生を輝かせるために個性を磨きましょう!

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じいや

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