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小学校低学年時代のしくじり

しくじり人生

田舎の風景と家庭の背景

私の小学生低学年時代は、幼少期と変わらぬ田舎の風景の中で過ごしました。父は8人兄弟の長男であり、跡取りとしての重責を感じながら働いていました。母もまた、家事と仕事の両立に追われる日々でした。私はその中で「跡取り」として育てられ、周囲からの期待と自分の気持ちの間で揺れ動いていました。

田舎の生活は、自然に囲まれた環境の中で育つことができる一方で、家族の伝統や期待に応えるプレッシャーも伴います。例えば、家族の農作業を手伝いながら学校に通う子供たちが多く、彼らは家業を継ぐことを期待されています。自分自身の夢や希望と家族の期待との間で葛藤することも少なくありませんでした。私もまた、「跡取り」という言葉に、何をすればいいのかもわからず、しかしみんながちやほやしてくれる日常を誇らしく思いつつ暮らしていました。

学校生活と小さな誇り

1年生の教室では、先生から「おとなしくて良い子」と評価されることが多かったです。運動会では徒競走で常に一位を取っていたことが誇りでしたが、それは同じ背丈の子たちの中での結果でした。身長が低かった私にとって、その小さな勝利が大きな喜びでした。しかし、決して「元気な子」ではなく、風邪をひきやすく毎月1回は学校を休むことが常でした。そんなとき、誰もいない家で母が枕元に置いてくれたみかんや桃の缶詰を食べながら、ひどく寂しい気持ちになったものです。

子供たちは小さな成功や評価を大切にし、それが自信や誇りにつながります。しかし、私のように病気や体調不良で学校を休むことが多いと孤独感や寂しさを感じることがあります。家族の支えや小さな喜びが心の慰めとなり、私にとっても母の心遣いが大きな支えとなっていました。

このような経験から私は周りに人に役に立つような存在にならなくてはいけないと考えるようになったのです。
まず母親に迷惑をかけないこと、喜んでもらえるような行いをしなければならないと心に決めたのです。

褒められることの喜びと寂しさ

私が大切にしていた感情は、先生に褒められることへの喜びでした。「良い子でいなきゃ」と感じていたのです。しかし、一方でひ弱な身体が悲しく、学校を休むたびに寂しさが募りました。そんなとき、漫画が私の心の支えでした。漫画を通じて、私は外の世界とつながり好奇心を満たしていました。

褒められることで自己肯定感を得る子供は多いですが、体調不良や孤独感に悩むこともあります。趣味や興味を持つことで、外の世界とつながり、内面的な充足感を得ることができます。私にとっての漫画は、その役割を果たしてくれる大切な存在でした。

また漫画は私の夢をかなえてくれる存在でした。苦しい生活をするなかで努力を重ねて成功者になる、そんなヒーローが実際にいて、自分もそうなれるんだと信じることができたのです。

祖母の教えと価値観の形成

低学年時代に起こった出来事の中で、特に印象に残っているのは祖母から教わったことわざです。「一寸の虫にも五分の魂」という言葉でした。それまで川でカエル釣りをして遊んでいた私は、この言葉を聞いて、自分がしていることが悪いことだと感じました。そして、たとえ虫であっても命を粗末にしてはいけないと考えるようになりました。この教えは、私の価値観や人生観に大きな影響を与えました。

祖母から教わる知恵やことわざは、子供の価値観や人生観に大きな影響を与えることがあります。自然や命の大切さを学ぶことで、他者への思いやりや尊重の心が育まれます。私も祖母の教えを通じて、命の重みを感じ、他者を尊重する心を育んでいきました。

小学校低学年時代の私はひ弱な身体だったことから給食も残すことが多かったのです。
パンをこっそりと自分のズボンのポケットに入れていると、その匂いを嗅ぎつけてついてくる野良犬がいました。
その犬は私の家までついてきて、結果飼うことになった犬がいます。
私の母は犬を飼うことには反対でした。
飼うと情が移り、亡くなった時に悲しい思いをするからというのがその主な理由でした。
今思えば、「情が移る」という言葉には結局世話をするのは母親になるから、という意味も込められていたんだと思います。

結局、いまのように犬の健康を考えた食生活を提供できるわけもなく、そのころに飼った犬は短期間でこの世を去り、その後始末をするのはいつも母親でした。
こんなことからも私は母親にこれ以上の迷惑をかけてはいけないと思うようになったのだと思います。

犬であれ、小さな虫であれその命をこの世で全うする権利があると考えだしたのもこのころだったと思います。

自分の意見を言えないことの悔い

しかし、振り返ると、私には大きなしくじりもありました。それは自分の意見を言えないことでした。常に先生や親の顔色を伺い、彼らが喜ぶような行動を取ることに一生懸命でした。自分の気持ちを抑え込み、他人の期待に応えることばかり考えていたのです。

多くの子供たちが大人の期待に応えようとし、自分の意見を抑え込むことがあります。しかし、自己表現の大切さを学び、自分の気持ちを素直に伝えることで、健全な自己成長が促されます。私ももっと早く自分の気持ちを表現する大切さに気づいていれば、違った人生があったかもしれません。

ただし、その頃の私が何を考えてどうしようと考えていたのかは思い出せません。
おそらくそんなことは何も考えていなかったのでしょう。
何かあれば母親の言う通りにしていればいいと。

とはいえ、漫画を読んでいる時の私は「こんな風になりたい」とかは考えていたはずです。
そんな自分の感情ではなく、周囲の顔色をうかがうことがまず第一に大切なことなのだと考えるようになたのが小学校低学年時代の私だと言えます。

過去の私へのメッセージ

もし、あの頃の私に今の私がメッセージを送れるとしたら、こう言いたいです。「自分の気持ちを素直に口に出せるようになっておくことが大事だよ。それが大人になってから、自分らしく生きるコツだから。」自分の気持ちを大切にすることが、心地よく生きるための第一歩だと伝えたいのです。

ただし、私の小学校低学年時代というのは戦後の復興期が終わり日本が経済成長を始めたころ。
日本の経済成長を支えるためにみんなが自分のことよりも全体のことを考えて行動すべきという風潮が大切にされたころでした。
そんな時代に「自分」を優先することはわがままであると思われる時代であったこともまた事実です。
しかし、いまや時代は変わり、全体を大切な時代に終わりをつげ個を大切にする時代に移ろうとしています。

そんな時代に自己表現の重要性を早い段階で学ぶことは、将来の自己肯定感や生き方に大きな影響を与えます。自分の気持ちや考えを率直に伝えることが、心地よい人生を送るための基本です。過去の自分にこのメッセージを伝えることで、未来の自分がもっと自由で幸せな人生を歩む手助けとなるでしょう。

自分たちの時代はこうだった、ではなく、これからの時代はこうだから、といった背景に基づいてこれからの若者たちを支援していくことが大切だと感じています。

未来への希望

今、58歳のあなたは、定年退職後の生活に対する不安を感じておられるのでしょう。仕事一筋で生きてきたあなたが、これからどんな人生を歩むのか、まだ見つけられていないかも知れませんね。
でも、過去の経験から学び、自分の気持ちを大切にすることで未来はきっと明るいものになるはずです。ひょっとするとあなたも私のように自分の気持ちを素直に表現できない人生を歩んでこられたのかも知れません。もしそうなら今の間、そう定年退職を迎える前に、あなたが子供のころに感じていた気持ちを振り返ってみてください。小学生低学年時代のあなたが心地よく感じる人生を歩む具体的な手段を今のあなたに教えてくれるかも?

ようやくあなたは本来のあなたの人生を歩む時がきたのです。慌てず、一歩一歩進んでいきましょう。あなたの未来には、まだまだたくさんの可能性が広がっています。

定年退職後の生活に不安を感じる人は多いですが、過去の経験や教訓を活かし、自分の気持ちを大切にすることで、新しい人生の可能性が広がります。自分らしく生きることを目指し、一歩一歩進むことで、充実した未来が待っています。過去の自分から送られたメッセージの中にあなたの未来への道しるべが刻まれているはずです。将来への不安ではなく、希望を抱いて進んでいきましょう。

人生を輝かせるために個性を磨きましょう!

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