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定年後の人生設計に向けた小学校高学年時代のしくじり

しくじり人生

この記事では、田舎で育った私の小学生高学年時代の思い出を通じて、「跡取り」としての周囲の大人たちの期待に応える気持ちや、野球への情熱、漫画とプラモデルに支えられた孤独な時間、そしてしくじりから学んだ教訓を振り返ります。

この世に生を受けて60年以上を数えてから迎える定年退職。
定年後の人生設計に子供のころの経験が繋がっていることに気がつくのに10年という月日が流れました。

このような幼少期の経験がなぜ定年後の人生設計に繋がるのか疑問に思われる方も多いことでしょう。しかし、この時期、そうですねぇ、小学校高学年の時までには私の人生に対する価値観は定まっていたように思います。

これから定年後の人生を迎えるあなたにはどうか、自分の気持ちに素直になり、自分らしい生き方を見つけてください。定年後の人生設計に悩む方々に、新しい未来への一歩を踏み出す気持ちを感じてもらえたら嬉しいです。

定年後の人生設計に繋がる子供の頃のできごと

夏の日差しが強く照りつける田舎の風景が広がる1955年、私はこの自然豊かな環境で育ちました。家の周囲には田んぼや畑が広がり、家の下にも田んぼがあり、そこには毎日私たちに新鮮な卵を届けてくれる鶏小屋がありました。

私は8人兄弟の長男である父と母のもとに生まれました。母は姉を出産した後に私を産んだのです。両親は共働きで私たち姉妹に不自由な思いをさせまいと懸命な空気が漂っていました。そんな環境で育った私は、幼少期から「跡取り」としての期待を背負いながら生活していました。

家庭環境と「跡取り」としてのプレッシャー

家庭内では「跡取り」としてのプレッシャーが常に私の肩にのしかかっていました。・・・はずですが、毎日のように「跡取り」という言葉を聞いているとそれは期待感なのだと思えるようになってきたのがこの小学校の高学年時代なのではないかと思います。

この感覚はやがて社会人となった際にも、周囲の期待にこたえなければと、ある意味自分のミッションとして受け止めることができるようになっていたのです。

私の父は家族のために一生懸命働き、母も家事と仕事を両立させていました。私は両親の期待に応えようと、勉強や運動に一生懸命取り組んでいたのです。幼少期から周囲の大人たちに「跡取り」として認められることが目標であり、そのために努力を重ねていました。

身体は小さくひ弱であったにも関わらず、運動能力には多少すぐれたものがありましたし、勉強もそれほど嫌いではありませんでした。

小学生高学年時代:学校での評判と野球への熱中

小学生高学年時代、私は学校では「おとなしくてよい子」として先生からも周囲からも評判がよかったことは低学年のころと同じです。

学級委員を務め、勉強も運動も得意でした。特に漫画が大好きで、「巨人の星」のようなスポーツ根性ものに憧れていました。その影響で野球に熱中し、放課後になると友達や上級生たちと一緒に校庭で汗を流していました。スポーツというのはつらく厳しいところもありますが、努力を重ねて少しずつ上達することが喜びでもあったのです。

漫画とプラモデル:孤独と寂しさを支えたもの

それでも、私の身体はひ弱で、月に一度は風邪をひいて学校を休んでしまう傾向も低学年のころと変わらず。両親が働いている間、誰もいない家でひとりで過ごす時間は寂しさを感じていました。

小学校の高学年時代、そんな時に支えとなってくれたのが漫画とプラモデルでした。特に漫画の主人公が困難に立ち向かう姿に勇気をもらいました。プラモデルは創作意欲は湧くのですが、実際に作るとなると手先が不器用でうまく作れないことも多く、そんな時には悲しく感じたものでした。

恐怖心と夜中のトイレ:死への恐怖心の芽生え

両親が好きだった怪談もののテレビドラマは私にとって恐怖の源で、特に夜中に外のトイレに行くことが怖くてたまりませんでした。田舎の家だったので年寄りとの繋がりも多く、死を感じることが多くあったせいか、死に対する恐怖心が芽生え始めたのもこの時期でした。

死にたくないと考えるようになった私は、家の外にあるトイレ(当時の言葉では便所)に一人で行けないとき、済まない気持ちを抱えながらも母親についてきてもらうようにお願いするときは情けなく感じていました。そう、「跡取りなのになんて情けない!」、と思われはしないかと。

大切にしていた感情と価値観

この時期に大切にしていた感情は様々でした。先生や両親、親戚に褒められることは一番の喜びでした。一方で病弱な身体が頻繁に風邪をひいてしまうこと、そしてそのせいで学校を休むたびに感じる孤独と寂しさも心に重くのしかかっていました。

私が持っていた価値観は、努力を重ねることの重要性を「巨人の星」などのスポーツ根性ものの漫画から学び、人よりも努力を重ねた人が成功するという信念だったように感じます。また、将来は博士か大臣のような人の上に立つ存在になることを夢見ていたことも。でもこれは周囲の人から言われてのものなので、今から思えば決して自分がそうなりたいと心の底から考えていたわけではないと思います。

そして、自分の好きなものに囲まれて過ごすことや、豊富な知識量を持つことに価値を感じていたのは間違いないようです。

このように決して自分の本意ではないにもかかわらず、周囲の人から言われたこと、それが自分の価値観だとか使命感だというように勘違いが深くなっていたのがこの小学校高学年の時代であったと思います。

しくじりと後悔:夜尿症と手錠のおもちゃ

この時期にはしくじりも多かったのです。例えば、夜尿症が治らず、小学校5年生までおねしょをしていて、そのことを恥ずかしくて誰にも言い出せなかったこと。

また、手錠のおもちゃが好きで、母親の財布からお金を持ち出して大量に購入してしまったことがばれて押し入れに閉じ込められた時のこと。

さらに、一人でキャッチボールをしていて玄関の窓ガラスを割ってしまったことや、給食で残したパンを野良犬に与えて飼おうとしたのですが、結局母親の手を煩わすことになって、最後まで自分が面倒を見きれなかったことなどがこの時期のしくじりとして思い出されます。

世の中には自分一人の力ではどうにもならないこともあって、それは仕方のないことなのですが、この時期、大人になると完璧な人間にならなければいけないとうっすらと感じ始めた時期でもあったように思います。

いかがですか?ひょっとするとあなたも小学校高学年時代には、こんな大人にならなければいけない、と自分ではなく周囲の大人から言われていて描いたイメージってありませんか?思い起こせば小学校高学年以降、そのイメージに縛られていたように感じませんか?

小学生高学年の自分へのアドバイス

もし今の私が小学生高学年の自分にアドバイスを送れるとしたら、周囲の人がいうことはわかったけど、自分は本当はどうなりたいと感じているの?と聞いてみたいと思います。

おそらくは「巨人の星の主人公みたいになりたい」と思っていたのでは?

あるいは鉄人28号を動かす正太郎君みたいに。

たぶん、そんなことを言うと周りの大人たちから「何をh現実的なことを言ってるんや!漫画の読みすぎ!もう漫画は読むな!」って言われそうな気がしたのです。そして周囲の大人たちが喜びそうなことを考える、そんな習性がみについていったのだろうと思います。

また、「自分が悪いと思ったことをしたらすぐに素直に謝ることが大切だ」ということも伝えたいです。

隠し通そうとしても、自分にウソをつくことが余計につらくなるし、素直に生きることが何よりも大切だということ。他人に対しても、自分に対しても、正直でいることが自分を守るための一番の方法だと教えてあげたいです。

今の自分へのアドバイスと読者への問いかけ

そして、今の自分に対しても同じように「自分の気持ちに素直に生きること」をアドバイスとして送ります。他人の言葉に頼っても、自分自身が納得しない限りスッキリすることはありません。今からでも遅くはありません。

自分の「心の声」に耳を傾け、自分が本当に望むことを追求することが大切だということを小学校高学年時代の私はもうすぐ70歳になろうとする自分に届けたいと思います。

あなたは定年後の人生をどう生きる?

あなたはこれからの人生をどのように歩んでいきたいですか?
60歳で定年退職するか、58歳11か月で早期定年退職するか、それとも再雇用で65歳まで働くか迷っている方も多いでしょう。
その選択には不安が伴うかもしれません。

しかし、重要なのは自分の気持ちに素直になること。

これまでの経験やしくじりから学び、自分が本当に望む生き方を見つけることが大切です。

終わりに

皆さんも、自分の人生を振り返り、過去のしくじりや後悔から学び、自分らしい生き方を見つけてください。

いくつになっても未来は自分自身の手で切り拓くものです。不安を乗り越え、自分が本当にやりたいことを見つけ、そのために一歩を踏み出しましょう。きっと、新しい発見や出会いが待っているはずです。勇気を持って、自分の気持ちに素直になり、素晴らしい未来を迎えてください。

だって、どんな定年後の人生を過ごしたいのかはあなたはすでに幼少期のころに思い描いていたはずなのですから。

人生を輝かせるために個性を磨きましょう!

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