定年後は自分に責任を持つ

現役時代の私は、看板がありました。

会社という看板が。

何かあっても最終的な責任は会社にあったのです。

つまり、会社に守られていた状態ですね。

サラリーマン生活にはいろんな不満や不安はありますが、

「最終的な責任は会社にある」というのは大きなメリットだと思います。

嫌なことがあれば、同僚や友達と酒を飲みながら愚痴っていれば良かったのですから。

でも、定年後は自分で何かをやろうとすると、それはすべて自分の責任になります。

いくら愚痴ってもいいですけど、自分の責任であることは変わりません。

実は私の経験からするとこの違いは非常に大きいのです。

会社では自分がやらなければならないことはパート、つまり「部分」であることが多いのです。

これを「歯車にはなりたくない」と思いたくなる人が多いところですね。

でも、開き直れば、「歯車」でいることは気持ちも楽なのです。

「自分は自分に与えられたパーツを演じている。それが何か?」

といった感じでしょうか?

実際、一個の歯車が壊れたらシステムが機能しなくなります。

でも、交換もできますけどね・・・

一人になるとそういうわけにはいきません。

毎日、同じ時間に起きて、同じ時間に電車に乗って、毎日同じルートを通って

毎日同じような仕事をして、お給料をもらって・・・と言った生活をしていたのに

急に自分で全部決めなければいけなくなるのです。

朝は何時に起きて、今日着る服を決めて、何をするかを決めて・・

結構、これが大変なんです。

仕事ではなんでも自分で決めていると思っていました。

でも、それは「決める範囲」がもともと決められていたからですね。

だから決められたんです。

定年後、大きく変わるのは配偶者との関係ですね。

今まで日中にいることのなかった主人が家にいる。

奥様にとっても大きな環境の変化なのです。

奥様にしてみれば、これまでは自分で決めることが多かったと思います。

今日の晩御飯は何にしようかとか、この汚れ物はどうやってきれいにしようかとか、

結構自分で決めているんですね。

そんな奥さんは、定年後のご主人の餌食となりやすいのです。

自分では何も決めず、何もできないのに、やたら奥様のすることには口を出す、

そう、だって愚痴を言う、仕事の同僚はもういないのですから。

私も最初は戸惑いがありました。何をしたらいいのかがわからずに

ひたすら家内についていってました。

あるいは、一緒に行動することを要求していました。

ジムへ行こうだとか、図書館へ行こうだとか・・・

なんだか一人でやるのが気恥ずかしいと言うか・・・

家内はうっとうしかったと思います。

せっかく子育てが終わったのに、今度は大きな子供がいきなり自分の生活に入ってくるのですから。

自分に責任を持つということは、簡単そうに見えてなかなかできないものなのです。

目に見えませんからね。

自分で決めているつもりでも、結局、誰かのマネをしていることが多いのです。

今の時代、インターネットで多くのことは検索します。

自分の疑問をインプットしたら、何がしかの答えが返ってきます。

それを見て、さも自分が考えたように意思表明をすることもできます。

でも・・それは本当にあなたがやりたいと思ったことですか?

だれかがやっているから自分にもできるだろう。

できなかったら、自分とあいつは違うんだ・・

の繰り返しになってしまうのです。

自分の気持ちにしっくりくることに出会うには時間がかかります。

でも、これは頭で考えていてもなかなか見つかるものではありません。

行動しなくては見つかりません。

そして、行動した結果に対しては自分で責任を持つことが大切です。

誰かのせいにしていては前へ進むことはできません。

責任を持つということは後悔しないということです。

サラリーマン時代はこうだったという感覚はいつまでも抜けません。

行動し、その結果を自分で受け入れて次に進むルーチンができあがってくるまでは。

なかなか具体的にならず、申し訳ありません。

まずは朝何時に起きるか?

これから決めて行動していきましょう!

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