死生観とは?|樹木希林さんの死に思う

死生観とは? 死と向き合う

ご冥福をお祈りします

昨日(2018年9月16日)樹木希林さんの訃報に接し、このことばを知りました。
なんだか重苦しい感じがしますが、
私のように還暦を過ぎた者にとっては大切なことの
ように思います。

このことを考えるきっかけを与えてくれた樹木希林さんの
ご冥福をお祈りします。

死生観の意味

文字通り、死ぬことや生きることに対する考え方を指すものです。
特に、死を見つめることで生きることに対する考え方を決めることとも言えます。

死んだらどうなるのかはわからない、だから死について考えることはできない。
私はこんな風に考えていました。

でもそれは「死」ということから逃げていたんでしょうね。

樹木希林さんはしっかりと死を見つめていらっしゃったようです。

死は特別なものではない

私が驚いたのはこの言葉でした。

私にとって、「死」とは特別なものだったのです。
この世と別れ、あの世に旅立っていく、
お葬式とは死者と生者がお別れをする、
そして死者の思いを引き継ぐという尊厳な儀式ととらえていました。

でも、樹木希林さんにとっては

「普通のできごと」

なのです。

確かに考えてみれば、この世に生を受けたもの全員が
迎える死。

何も特別なことではないのです。
しかし、なぜかこれまで特別なことのように感じてきました。

この社会がそのように扱っているのでしょうね。

樹木希林さんの言葉で印象的だったものがあります。

「あなたたちはいつまでも生きながらえると思っているでしょ?」

確かに私はそんな風に思っていました。

でも、彼女の言う「普通のこと」である死に対しては
準備を必要とするものなのです。

一生懸命に生きる

死生観、つまり死ぬことを前提として生きることを考えるからこの言葉があるのだと
感じました。

一生というのは生まれてから死ぬまでのこと。

その間を懸命に生きるという意味だと初めて実感しました。
どのような死を迎えたいのか?

その先に何があるのかは死を超えてみないとわかりません。

でも確実なのは死が訪れるということなのです。

その死を考えることでどのように生きるかが決まってくるのだと
考えるようになりました。

どのように死ぬか?

つまり、自身の死にざまを考えることなのです。

どこで死にたいのか?

どのようにお別れをしたいのか?

誰に居てほしいのか?

そんなことを決めておくべきなのでしょう。

今の時代、終活という言葉も流行っています。
それはどのように死ぬかを考えることなのだとわかりました。

自分が死ぬときに多くの人に残念だと思ってもらいたいのか?

樹木希林さんさは、どうもそうは思わなかったようです。

「私は死んだ人が残念だとは思わない人」

だとおっしゃっていました。

だから人のお葬式にはいかないのだと。

自身の死にざまを決めている人は行動もそれに基づくものに
なるものなのです。

どのように生きるか?

どのように死ぬかが決まれば
おのずとどのように生きるか?
が決まってくるのです。

樹木希林さんは本当に内田裕也さんのことが好きだったんですね。

長年にわたる別居生活でもやはり好きだったと公然と言えること
その生きざまは死にざまを決めていたからこそのものだと理解しました。

内田裕也さんのどこが好きか?と聞かれて

「全部好き」

と応える彼女に微笑まずにいられませんでした。

内田裕也さんが勝手に離婚届を出した時も

「彼は私の中毒にかかっています。ようやく自分の意志で行動した。」

と評価して

裁判を起こして復縁したそうです。

すごいエネルギーだと思います。

そのエネルギーはどこから来るのか?

死ぬことを決めていたからこそ、
生きている間に何をすべきかが決まっている、

だからこその生きざまだったと理解できました

死に方を決めましょう!

いかに生きるか?を考えるためには

いかに死ぬか?

を考えること。

それを教えていただきました。

私もこれから自分がいかに死にたいのかを考えてみたいと思います。

そして考えるだけではなく、決めること。

どこで死ぬか?

どのようにみんなとお別れするか?

誰に看取ってもらいたいのか?

それが決まれば、

それに向けて準備をしていきます。

樹木希林さんの言う、

「身じまい」

ですね。

70歳にもなれば人は身じまいをする時期なのだそうです。

私は70歳までには数年あります。

その間にしっかりと考えます。

終わりに樹木希林さんの死生観を表す言葉をここに記します。

「人は必ず死ぬというのに。長生きをかなえる技術ばかりが進化して

なんとまぁ死ににくい時代になったことでしょう。

死を疎むことなく、死を焦ることもなく。

ひとつひとつの欲を手放して身じまいをしていきたいと思うのです。

人は死ねば宇宙の塵芥(ちりあくた)。

せめて美しく塵になりたい。

それが私の最後の欲なのです」

貼り付け元  <https://mainichi.jp/articles/20160203/dde/012/040/011000c?inb=ys>

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