母と義母の一周忌。7月は法事の月となりました。

納骨

一周忌の法要と納骨を行いました

昨年の7月7日に母が、そして7月30日に義母が無くなりました。

今年、令和2年の7月はそれぞれに一周忌を迎えます。

1周忌の法要に際しては、早くするのは問題がないとのことで、母と義母を合わせて同じ時期に執り行いました。

もちろん、住職さんと相談したうえでのことです。

併せて納骨も行いました。

振り返ってみると1年って早いものです。

母の死を悲しむ暇もなく、義母が無くなり、四十九日の法要を済ませたのがつい昨日のことのようです。

その時に思ったのは

「お葬式は生きる儀式」

だという、テレビコマーシャルの言葉です。

本当にその通りだと思います。

死んだ人が残すものは?

お通夜の会場では、私たの息子と娘の子供、つまり孫どおしが走り回っていました。

普段は顔を合わせることのない孫どおしが仲良くなったきっかけは母と義母の死でした。

年寄りは死んでいくけど、その残すものは若い世代の繋がりでした。

「死」っていうのは大事なんだなぁと思いました。

死んでまで私に学びを与えてくれる母と義母に感謝です。

私は坂田家の最後の人間として、今ある家を処分し、墓も処分を考えなくてはなりません。

でも、法事で繋がる親戚の絆は絶やすことはできないように思います。

シニア世代の役割は?

一周忌の夜は息子と娘家族が集まっての食事会。

もう世代が変わっているのですね。

私たち世代は「後方支援」と言った感じでしょうか?

それでいいのですが、私たちもまだこれからしばらくは人生があります。

お迎えが来るまでは・・・ですが。

私たちにできることは、

1.私たち自身が楽しんで生きていること

2.私たちの親世代から受け継いだ「良いもの」を伝えていくこと

3.これまで生かしてもらったこの人生に恩返しをすること

なのかなぁと思います。

そのためにこれからもこの「法事」を活用していく意味があるのだろうなぁって感じます。

お墓がどこにあろうとも。

誰かのために生きる、でもいいじゃない!

私で坂田家は占めることになったにせよ、ご先祖様から受け継いだDNAは確実に受け継がれているはずです。

また血が繋がっていない孫たちにとっても「私」という存在は実在したわけですから、頭の中には残っていくことでしょう。

そんな時に、「良い思い出」として残って欲しいものです。

またこれまでの人生で私が大切にしてきた

「誰かのために生きる」

という適性が出てきました。

本来は

「自分のために生きる」

ことが良しとされている今の時代のように感じますが、それはやはり私には難しいようです。

家族のために、孫のために、いつも癒してくれるペットのために、そしてなんらかのきっかけでご縁をいただいた方々のために。

そんな方々が幸せそうにしているのをみるのが私は楽しいのです。

むりやり

「自分のため」

に生きる必要もないでしょう。

私が楽しくなることが「自分のため」なのですから。

受け継いだもの、そして亡くなった方に感謝です!

これは恐らく父親の生きざまでしょうね。

あまり話したことのない父親ですが、今となってはなんだか身近に感じるようになってきました。

母と義母の一周忌を迎えた65歳の男がようやく父親の存在を意識できるようになったと思います。

ありがとう、お母ちゃん、ありがとう、道子ばあちゃん!

そっちではお父ちゃんや民夫さんとも仲良くね!

私はもう少しこの世を楽しみます!

孫たちやペットたちと!