義母の看取り

特養から電話があったのはばあちゃんが87歳の誕生日を迎えた次の日。

施設のみなさんへお礼の品を持って伺った7月13日の午後10時頃でした。

大量に吐いたことを受けたとの連絡で、救急搬送を依頼しました。

搬送先の病院へ着いたのは11時前。

 

医者の診察では血圧が60しかないので、点滴をしますとのこと。

点滴により血圧は上がったので、しばらく様子をみるとのことで即入院でした。

 

7月14日の午前12時頃病院へ行って医師のお話を伺いました。

今年の4月にも義母は入院しており、その際にも「腸が腐っているかも知れない」

とのことでしたが、その疑いはなく、回復し退院した経緯がありました。

 

今回は、肝臓の門脈に空気層がみられており、これは腸に問題があるとのことでした。

腸の中に液体がたまっていることや、肺にも炎症のようなものが確認されました。

 

身体のどこかで炎症が起こると血管から水分が排出されるのだそうです。

そのことによって血圧が下がります。

血管から排出された水分が今回は腸にたまっていて、全身に回らないので脱水症状を起こしています。

おしっこも出ていないので、腎臓の問題かも知れません。

また全身に回った菌の影響であちこちで炎症を起こしていることも考えられます。

 

いずれにしても、点滴で水分を入れて血圧をあげることはできても

身体の回復にはつながらないので自然に起こることを見守るしかないとのことで、

昨夜血圧をあげることとなった点滴の滴下速度を落とすこととなりました。80⇒40へ。

 

そうすることで血圧が下がるので、本日日中にもお別れになる可能性になるとの言葉も。

すぐに、親族に連絡をしました。

その日のうちに息子・娘家族が病室に集まり、家内が病室に付き添いました。

 

私が病室を出るときには血圧は前日の95から75に下がっていました。

 

15日の朝に様子を尋ねると、先生が診にきて血圧が上がっていることを確認し驚いていたそうです。

点滴の流量を半分にしたにも関わらず血圧が上がっていることにば、

あちゃんの生命力が強いのでこのまま連休を乗り越えることができたら方針を見直すとのこと。

 

15日のお昼に私が訪れるとビタミンの点滴がされ、その流量も60に上がっていました。

血圧は95に上がっていました。

 

娘家族を大阪へ送り、夜にまた家内を送った時には血圧は114に。

恐るべしばあちゃん。

私が病室を出るときに「おやすみ」と声をかけると「おやすみ」とかえってきました。

これまでよりも普通のコミュニケーションが取れました。

 

明日からはどうなるのでしょう?

 

その後も血圧は回復し、7月19日には転院の話も出るようになりました。

素晴らしい復活模様です。

 

しかし、7月20日には時折、脈拍が40程度に落ちることがあると。

それも短時間に復活するが・・

 

心配なので20日の夜から家内はまた付き添うことに。

 

浮腫とおしっこがでないことから点滴は1回/日にするとのこと。

これって・・・栄養が足りなくなる・・・

 

7月22日には嚥下機能テストをするも、もう口から食事を摂取することは無理との結論。

 

7月23日には医師から口から食事ができないとなると身体の栄養バランスを保つことが難しい。

点滴もばあちゃんの血管細いため、そのうち無理になる。

そうなると数日のうちに急変することが考えられる。

 

といいつつ、病院でできることはもうないため、

転院先を考えることとなりました。

 

7月30日には紹介された転院先の一つである病院へ。

最初に出た言葉は「長く滞在されるご希望ですよね?」

ばあちゃんはそんなに長くはない命なのに・・・と違和感を覚えました。

 

その後も、この個室は一日いくらで、とか、テレビは見ても観なくっても200円かかります・・とか

お金の話ばかり。

 

ばあちゃんをしっかり看取ってくれるという気持ちがしなかったので

お断りを決めました。

 

病院に戻ると、他の受け入れ先を探してくれるのかなぁとおもいきや、

特養に戻りますか?それともご自宅はいかがですか?

 

などと早く出て行って欲しいといわんばかりのお話が・・

 

ばあちゃんがこのまま、「もの」として扱われるようなのであれば

自宅で看取ることを決心しました。

 

ばあちゃん、うちに帰ろうね・・という話をしたそのほぼ3時間後に

息を引き取ったばあちゃん。

 

決して死に急いだわけではないのでしょう。

ひょっとしたら家に帰れるという気持ちで安心したのかも知れません。

 

家ってなんでしょう?

 

自分の一人娘が嫁いだ先に、自分の交友関係も断ち切って

大阪から加古川へ越してきたばあちゃんにとって

思い出深い家はもはやありません。

 

家・・それは自分が気心知れた人と心穏やかに暮らせる場所・・

なんではないなかなぁと思ったのです。

 

本当は命のある状態でつれて帰ってあげたかったのですが、

それは叶いませんでした。

 

家に亡骸を安置すると櫻子がばあちゃんの顔をなめていました。

耳を寝かせて・・懐かしそうに・・

 

お通夜の席を失礼して、私は櫻子とえんたのいる家に帰りました。

しきりに櫻子が部屋から出ると言います。

「遅いから散歩はできないよ!」

 

と言いましたが、朝になっても部屋の外へ出ると言います。

ひょとしたらウンチが出ずに気持ち悪いのかなぁと思って

部屋のドアを開けると一目散にその身体はないばあちゃんの部屋に

入っていきました。

 

安置してあった亡骸のない布団人上がってくんくん嗅ぎまわり、

挙句の果てには布団をめくってばあちゃんの身体を探していたのです。

 

私たちが旅行に出かけた時に、世話をしてくれたばあちゃんの姿を

探していたのでしょう。

 

デイサービスにでかけるばあちゃんの車いすのタイヤに

「ばあちゃんを連れて行くな!」

といわんばかりにかみついていました。

 

櫻子のこころが休まるのがばあちゃんと一緒に過ごした時間なのかも知れませんね。

 

どこのどんな家に住んで、どんな暮らしをするのかが大切なのではない。

自分がこころが休まる人と一緒に過ごすことが大切なんだ、

それが家族なんだってばあちゃんと櫻子に教えられました。

 

そう思うと、もっと早くばあちゃんを家に帰してあげたかったなぁと

申し訳なく思います。

 

ごめんね、ばあちゃん。

 

でも、息を引き取る瞬間に立ち会わせて、いや、

私が行くまで待っててくれて・・ありがとう!

 

今朝、山本太郎さんが

「存在するだけで価値がある社会」と

「生産性が高いことが価値がる社会」と

どちらがいいですか?

って質問されていました。

私は前者を選びます。

 

さて、限りあるばあちゃんの肉体とはお別れしても、

その気持ちや考え方は生前にご縁のあった皆様とともに

生きながらえていくことでしょう。

 

存在するだけで価値がある命があること、それが人であれ、犬であれ、

そして存在したことが誰かの心にいつまでも生き続けることができると確信しました。

 

ぜひ、時々でもいいのでばあちゃんのことを思い出してやってください。

ばあちゃんやったらこんな時どういったかなぁとか。

きっと「知らんけど!」って言うたやろなとか。

 

私もこれからの人生迷った時にはこう言います。

「知らんけど」

 

知らなくってもいいんです。

自分の思う通りにやれば。

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